新しい郊外の家

■都市と地方の中間領域、それは今までのように「仕方なく住む郊外」ではなく、

 僕たちの価値観が積極的に選択する「新しい郊外」である

 

■一番の不安は都市が危険なこと。そして子どもに自由がないこと

 

■ワイルドな海、新鮮でおいしい魚介類、豊かな農作物と広い土地、そして点在する穴場の店や、

 おおらかで温かい人々、そしてそれが東京からおよそ1時間半圏内にあること

 

■「新建築」や「住宅特集に」掲載されている住宅で、フラット35の要件を満たす家はないだろう。

 というより、住宅メーカーの商品化住宅しか無理なのではないかという気さえしてくる。

 

■今、日本では最大公約数を凝縮した居住空間が提供されている。

 そのプランがその家族に適合しているかわからないままに。大多数の人々はそれを購入し、
   そのプランに家族側が合わせて生活している。

 

■価格のルールは自然のルールのようなものだ。だから建築が自然に逆らわず建っているのが

 いいように、価格にも素直に従うのも、またデザインである。

 

■『whole Earth Catalog』......全体システム、土地利用、シェルター、産業、工芸、コミュニティ、

 放浪生活、コミュニケーション、学習、といったカテゴリー

 

■例えばプログラマー、イラストレーター、映像制作のプロダクションなど。

 彼らは必ずしも都会の真ん中で仕事をし続ける必要はない。

 

■設定活動は面的に広がり、ネットワークしていけば地域全体に作用する。

 そして房総R不動産は、地域の新しい可能性を発見しそして定着させるための手段

 

■今必要なのは、絵に描いた餅になりがちなマスタープランではなく、

 変化に柔軟で、それ自体が新しい流通や経済を具体的に動かすような

 ドライバーのようなものではないか。

 

■都心の一等地は高容積化するべきだ。

 

■建築家は、大衆を信じていないよね。

 クリエーターの中で、これだけ大衆を信じていない職種はないかもしれない。

 

■メーカーのデザイナーやポップソングのミュージシャン、またジャーナリストやお笑い芸人

 のようなクリエーターは、常に大衆に何を訴えかけ、大衆がどう反応するかを考え続けて仕事をしている。
   大衆の上に職業が成り立っていることをダイレクトに感じているからだ。

 大衆に支持されなければ仕事がなくなってしまう。

 だからこそ彼らは大衆を信じる力を持っている。

 

■おそらく僕らの世代は土地や家に固執しない。

 所有という欲求や概念さえ少しずつ薄くなっている。

 それよりも過ごす時間を大切にする。誰と、どのような環境で、何を語り、何を食べるのか。
   不可視の現象をいとおしく思う。

 土地に縛られない僕らの間には、この大地をゆるやかに共有するという感覚さえ生まれる。

 もちろん旧来の共産主義的な感覚ではなく、自分のために、
   そして地球環境のためにそうした方がいいと素直に判断する。


 

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