僕の大好きなホームセンター

 

ホームセンターに行くと、よく見る店員が常に黙々と、売場を小走りに走り回っている。
中年のひょろっとした、眉間にしわを寄せた店長らしき男性だ。
他のスタッフもお客と話すのを避けているのではないか、というくらい排他的な仕事ぶりです。
商品の場所を聞きたいのに、声を掛けにくい始末。
お店に入った瞬間お互いに店の従業員、お客という与えられた役割を何か忠実に遂行しているような
妙な機械的な空間にひどく失望と幻滅に苛まれます。
なんかおかしい。しかしここに限ったことではないです。
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ただすごく快活で、人の機微をつくような接客で人を喜ばせる店をたまにみかけることもあり、
たぶんそれに気付いている人達が努めてそのようにしているのだろうと脱帽する思いをすることも稀にある。
その両極端なギャップに世の中は残るものと去るものとに分かれていくのだろうと、
確信に近いものさえ感じます。

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孤独がずいぶん社会に浸透しています。
専門を分化させていきつくところに孤独が残ったのでしょう。
自分を全人的に受け止めてくれる場所が少なくなってきているように見えます。
例えば町医者的な存在が昔はありました。
地域の医者が健康を心配してくれ、
商店の店主が子どもを叱ってくれ、
棟梁のような存在が家族や暮らしの心配をしてくれました。
いつからか複雑になってきた世の中をそれぞれの役割の枠に当てはめて、
カテゴリーで専門を謳歌し、逆にその枠からこぼれた仕事はあなたの担当よと
言わんばかりの冷徹な道筋。
社会がその道筋を引いてきました。
少しだけ物事の文脈の前後に目をやれば、おのずともてなしの精神は芽吹くはずなのに。
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地域が個人に目を配っていた時代が懐かしいと、懐古主義に走るつもりはありません。

僕はミーハーで新しもの好きです。
それぞれの商売と仕事に汗を流しながら、地域や他人とつながっていく、
その延長線上に新しい場所があるはずです。
そのために必要な空間やそのために必要な人、プログラムや仕組みを組み直す必要はあるけど、
現代の新しい場所はつくれると思っています。
それがもともとそこに在ったように思えるものとして。

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なにかおかしいのにと思いながらも何が悪いのか、じゃあどうしたらいいのかと、今もこうして
自分のことを社会の隣に置いて考えています。

そんな片鱗が見られる
Making Folklore
12/1までです。

Making Folklore展はじまりました
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